羽音さんの『こうして私は通信教育で教員を目指した』
今回は羽音さんが通信教育で教師を目指した動機を紹介したいと思います。
彼女は神奈川在住の23歳です。
羽音さんの場合
夢もなければやりたいこともない。そんな私だから、就活は苦労しました。
行きたい会社も興味がある業種もなかった為、自分の時間が作れるように実家から通える
土・日休みの会社という条件でのみ就活をし、今の会社で働くことにしました。
今の会社で普通に過ごして、 年齢がある程度いったら結婚をして家庭を持って...
良くも悪くも無い、危険も無い普通の生活をする。これが私の敷かれたレールだと思っていました。
しかし、次第に自分の中で葛藤が起こりました。気付いてしまったんです。
やりたいことがわからないんじゃなくて、 わからないフリをしていただけなんだって。
傷付きたくないから、 少しでも難しいと思った道は通らなかった。
「私には無理だ」 これが口癖だった。
挑戦することもしなかった。 自分を肯定して諦める方が簡単だった。 傷付きたくないから。
本当は私にはやりたいことや興味のあることが沢山あったのに、 全て「無理」の一言で
片付けてきてしまったんです。
それが、今「後悔」に変わりました。
子供が大好きな私は、昔で言う保母さんになりたかったんです。
しかし、ピアノが未経験であること、工作や絵画が苦手であること、少子化である
こと等の理由から諦めてしまいました。
また、手話通訳士にもなりたかったんですが、手話通訳士というものが狭き門であり、
手話自体は専らボランティアであること等が諦めてしまった理由としてあげられます。
その手話のことを調べていくうちに、 ろう学校にも興味を持ち始めたんです。
ろう学校の教員になる為には、 小・中・高のいずれかの教員免許が必要だそうです。
大学で中・高の免許は取れたのに、私は途中で教職を止めてしまったんです。
それなら、小学校の教員免許を取ろうかなって思うようになりました。
小学校の教員免許を取ろうと思った理由は沢山あります。
子供が好き。
ろう学校で働く資格を与えられる。
小学校の時の担任の先生が大好きで小学校の時の夢が小学校の先生だった(文集に残っています)。
良くも悪くも素直な子供の視点から気付き教わることが沢山あると思い、共に成長したいと思った。
弟が中学時代に苛めにあっていた。苛める子の育った環境は?どう成長してきたのか?そう考えていくうちに、小学校の指導が教育の原点なのでは・・・と思うようになった。
私が小学校の先生になりたい主な理由は以上です。
小学校の教員免許を取り、余裕があったら幼稚園の方の免許も取りたいと考えています。
もちろん、小学校の先生として働きたいです。そしていつか、ろう学校の先生として
働けたら良いなと思っています。
働きながらの勉強は厳しい道のりだと思いましたが、私が変わらないと
私は私を好きになれません。もう自分の生き方に後悔はしたくないから、
やらずに後悔をするのは卒業します。 後悔をするなら、やって後悔をしたい。
不安は尽きないけれど、頑張ってみようと思います。


