望ましい教師のあり方や姿を指す教師像は、歴史的に大きく変化してきている。わが国では、第2次大戦以前は、「聖職者としての教師像」が支配的であったが、第2次大戦後、戦前の「聖職者像」に対抗するものとして、「労働者としての教師像」が出現した。これは、主として1960年代に、教員組合運動を基盤として広まった教師像である。
昭和41年には、ILO ― ユネスコの「教師の地位に関する勧告」によって、「専門職としての教師像」が提唱され、わが国の教師像に大きな影響を与えた。その後、1970年代から1980年代の落ちこぼれ・校内暴力・いじめなどの学校問題が激増する中で、中教審や教養審が、強い使命感や実践的指導力を豊富に持つ教師像を提唱するようになった。
さらに、平成9年の教養審答申とそれに基づく平成10年の免許法改正は、「総合演習」の新設、「教育相談」の強化、「情報機器の操作」の必修化等、社会変化や時代的要請、学校・教師の課題に対応できる教師像を強調したものであった。
また、同答申では、「得意分野を持つ個性豊かな教師の必要性」を提唱し、画一的な教師像を求めることを避けたことも注目される。これは、「生きる力の育成」、「個性の尊重」といった現在の学校教育の基調の転換に伴うものであり、こうした教育を担う新たな教師像として出現したものであった。