黒板の前に教師が立ち、クラス全体に向かって行う授業。同一学年の子どもたちを対象にし、同一の内容が教師を中心に一斉に伝達される授業。
この一斉授業と呼ばれる授業の様式を最初に構想したのは、モラヴィアのフス派宗教改革の指導者のコメニウスである。
コメニウスはこの授業様式を人間解放の理念を実現するための、「あらゆる人にあらゆる事柄を教授する普遍的技法」として、「教刷術」(didacographia)と命名した。
含意は、子どもという「白紙」に教師の声(=インク)を一斉に刷り込む授業のあり方ということである。
コメニウスの構想はついに実現することはなかったが、その約二世紀後、世界各国が義務教育を整備する過程で、その効率性や経済性ゆえに急速に普及していった。
それとほぼ同時に、この授業方法が生徒の個人差に十分に対応できず、弾力性を欠如している点などが批判され、20世紀初頭の様々な学級(教育)改革案の試行を促すことになった。