学校制度が人間の制度への依存や疎外を生み出していることを指摘し、学校教育が個人と社会の進歩・発展を実現するという近代的な観念を批判するとともに、価値を産出する制度に依存しそれに拘束されている社会を再編することを主張する議論である。最も代表的なのはオーストリアのイリッチである。
イリッチは、学校を「特定の年齢層を対象として、履修を義務づけられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求する、教師に関連のある過程」と定義し、学校制度が、制度が価値を産み出す、価値は測定されうる、価値は詰め込まれる、人間は無限に進歩するといった神話を制度化し、神話と現実の相違を隠蔽しながら再生産するものであるとした。
そして、学校制度によって人間は制度に依存し、孤立化し、疎外され、自主独立的に成長することを不可能にされているとし、学校制度を解体して、公衆が容易に自主的にそして平等に利用できる学習のための新しいネットワークを形成することを提案した。
脱学校論は具体的にこれからの教育や学校のあり方を示すとはいえないが、現代の学校制度に対する根本的な批判として受け止められてきた。学校へ行くことやその価値を当たり前のものとする考え方に反省を促す意義がある。