18世紀末から19世紀初頭に英国のベルとランカスターが開発した授業様式。一斉授業の始まりと説明されることも多いが、正しくは多数の児童をモニター(助教)を用いて教授する方式というべきである。
ギャラリー(大きな部屋、階段状のものが望ましいとされていた)に集められた児童が一斉に行動するのは、授業開始・終了時などの「秩序維持」場面だけであり、授業場面は一斉ではなかった。
授業は、「競争」と「賞罰」の動機づけによって個人学習が自動的に進められていく場であった。しかし、一斉授業の起源ではないとしても、能力的・効率的な教授学習組織の先駆けという点では画期的な意味を持っている。